毎年暮れに大神宮さまへお札を頂戴しに行きます・・・
船橋大神宮(意富比)神社は今年創祀千九百年を迎えました。今年9月には「ふなばしの大神宮 ~船橋大神宮の社宝と文化財~ 展」が開催されました。船橋大神宮所蔵の徳川家康肖像画「伝厄年」「伝古希」、徳川家康寄進状などが、また船橋市図書館所蔵の錦絵「諸国名所百景 下総舟橋大神宮(二代広重画)」などが展示されました。
今から1900年の昔、景行天皇の御代、皇子日本武尊が東国平定の折に今の船橋の地に上陸しました。当地で、平定成就と、この時干天に苦しんでいた住民のために、天照大神を祀り祈願されたところ、御神徳がはっきりと現れ、住民が救われたと伝わっています。その後景行天皇ご自身がご東行の折当地に立ち寄られ、日本武尊のご功績を称えられ意富比(おおひ)神社の称号を賜りました。
平安時代に編纂された延喜式という格式の高い神社が記載されている神名帳にも記されており、式内社としての歴史を知ることができます。後冷泉天皇の御代には源頼義、義家が当宮を修造し、近衛天皇の御代には源義朝が再建しました。その当時の文章には、船橋伊勢大神宮とあるそうです。鎌倉時代日蓮上人は宗旨の興隆発展成就の断食祈願を当宮にて修め、曼荼羅本尊と剣を奉納されました。
江戸時代に入り、徳川家康公は当宮に社領を寄進し、本殿、末社等を造営されました。以後14代家茂公に至るまでほぼ代々の将軍家ごとに50石が献納され、その朱印状が今日まで伝えられています。
明治維新戊辰戦争の戦火は船橋にも及び、本殿はじめ全て焼失しましたが、明治6年に本殿が造営されたのをはじめとして、大正、昭和、平成と、拝殿、末社、鳥居、玉垣、参道等に至るまで随時造営され、今日に至っています。
(以上、9月の「ふなばしの大神宮展」の資料から)
毎年10月20日の例大祭に催される奉納相撲は、家康公が東金への鷹狩りの際船橋御殿に宿泊され、土地の子供らが相撲をとってもてなしたことに始まります。家康公はこれを喜ばれ、奉納相撲とされました。400年以上の歴史と伝統ある奉納相撲です。また、境内にある灯明台(千葉県有形民俗文化財)は木造建築で高さが12mほどあり、船橋のシンボルの1つになっています。
お店から大神宮さままで歩いて15分ほどです。わが家は毎年元旦の夜に大神宮さまに初詣に行きます。もちろん息子(耳の長い息子)も一緒です。毎年初詣に来た方達がこそこそ話しているのが聞こえます(笑)。「あれ?今年うさぎ年だっけ?」
2012年12月29日投稿